江戸初期の武士たちは、苦しい戦国時代を経験した後、徳川幕府による新しい平和な時代に適応していかなければなりませんでした。書道のほかに、茶道、華道、詩歌、香道、能楽など、様々な芸術が盛んになり、文化的武士と見なされるためには、刀と筆の両方の文武両道の知識が必要とされました。
武士にとって文武両道とは車の両輪であり、どちらも同じように精進しながら鍛錬することが理想とされました。この両者の共生が、人格と気概のある人間を育てるとともに、防衛(武)だけでなく社会の発展にも貢献できる実践的な能力を持った武士を育てることに繋がりました。
薩摩の武士たちは、薩摩琵琶の歌に耳を傾け、守るべき道徳観や昔の勇敢な武士の物語を学びました。
日本の各地域で独自の工芸品が生まれましたが、多くの場合、その地域で入手できる原材料や、当時の社会的、政治的状況によっても左右されてきました。武道や芸術文化の創造と同様に、日本の職人たちは自然界からインスピレーションを取り入れました。じっくり時間をかけて世の中を観察し、日本の素晴らしい自然が持つ力強いシンボルを作品に取り入れるには、何年もの修行と努力が必要だったのです。完璧を追求する果てしない探求心によって生まれた芸術は、日々向上し続けようとする武士たちの日常生活にも大きな影響を与えました。鹿児島では、武家で使われる薩摩焼の茶碗が作られ、今もなお継承されている伝統文化です。